2008年 07月 13日
この「金廻四間門樋」に関しては私のまったく個人的な興味で掲載しましたので 関心のある方がご覧いただければ嬉しく思います。 海津市歴史民俗資料館へは二度お邪魔しましたし、復元・保存されている別棟の 保存用倉庫には私一人のためにシャッターを開け高温の内部を説明しながら同行 して下さったご担当の方には、それも2日にわたってのことでしたので、感謝する とともに厚くお礼申し上げます。 天気都合で内部の明暗が違いましたし1日は照明を付けて戴きましたので 写真の色が不自然ですがその点はご容赦ください。 平成七年、揖斐川左岸堤防(海津市海津町金廻地内)の地中より、幅4間(約7m)・長さ18間(約32m)の巨大な木造樋門がほぼ完全な形で発掘され、土木史・治水史など各分野で話題となりました。 樋門とはいわゆる排水管の類で、江戸時代には圦樋(いりひ)とも呼ばれ近代にかけて水場地帯に多く築造されています。土地が低く、周囲を堤防に囲まれた輪中では湛水(溜まり水)の被害も深刻で、内部からの排水が大きな課題でした。そのため排水路を整備し、外川への排出口に樋門を設置したのです。 この四間門樋は明治17年頃設置され、昭和10年頃不用となり埋蔵されたと推定されており、近代産業遺産として後世に残すため一部を復元し、当歴史民俗資料館に保管されています。 この門樋と同型のものが当時、約13km上流の輪之内町海松新田地内にもあったことが史料により明らかですが、現在当時のままの姿を復元・保存する例はこの金廻四間門樋の他にはないだろうと言われています。 (上記内容は海津市HP「資料館収蔵資料の紹介」より引用しました) 資料館南にある大きなテント倉庫の中に一部が復元・保管されている。 1 2 3 4 樋表・揖斐川側からの正面の姿 5 導水路の中短(なかづか)行桁(ゆきげた)には金属製のかすがいが使用されている 天井の木材は流の水圧で丸く削られている。 6 7 8 行桁の仕口の様子 9 四間門樋は一間の樋門が四つ並んで正面には観音扉で開閉する仕組みになっている。 動力のない時代に二つの川の水位水圧を巧みに利用した開閉扉である 10 11 12 13 門樋の堤体への埋込箇所からの漏水を警戒して水流の接する底面と側面の 前面に使われたたばかりか樋上土抱板の背後にもタタキ土が使われていた。 14 15 16 支持杭としての地杭・挟杭は総数で3800本で長さ3m径は15㎝であった。 17 18 財団法人 土木学会が発行している「土木史研究 第20号」に 「金廻四間門樋について」と言う論文が掲載されているのを知りましたので 船頭平閘門のある「木曽川文庫」を訪ねて閲覧させてもらいました。 A4サイズで12ページの内容でしたので有料で複写してもらいました。 素人の私にも理解できる内容でしたのでその一端をご紹介しました。
by sansenkiso
| 2008-07-13 12:07
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